ピアノを弾くということ

藤森永子(ふじもりながこ)

こんにちは、藤森永子です。

 

小学校1年生からピアノを習っていました。

高校生までつづけていました。

今はたぶん弾けないと思います。

 

ピアノの先生が家まで来ていました。

まとめて教えて貰えるという事で、家族で教えて貰いました。

父以外は全員ピアノを習っています。

 

極貧時代まっただなかの実家で、ピアノを習う、ピアノを買う、は本来なら許されない出費です。

生きていくのが先決。

芸術にお金を使うことなんて、後回し。

 

ところが、情操教育にはいいという祖父母の支援もあり、

ピアノを買って貰えました。

それまで、紙の鍵盤で練習していた私です。

 

叩けば音がでるピアノが家にきました。

 

とはいえ、それだけでは音楽にはなりません。

ドレミから覚え、リズムや速さ、強弱を覚えていきます。

 

先生は何故だか、練習していく音楽を、最初に1回しか弾いてくれませんでした。

あとは私の練習次第。自分で音楽を作るのです。

音楽になるまで、毎日練習です。

右手はうまく弾けても、左手ではうまく弾けない。

強弱をつけたくても、自分の感情と離れると、表現が難しい。

なかなか思い通りにいかないものです。

すぐにゴールにもたどりつけません。

 

人生も同じかもしれません。

なかなか思い通りにいかない。

出来るようになるためには時間がかかる。

うまくいく日もあれば、うまく出来ない日もある。

そもそもドレミから勉強しなくてはならない場合もあるでしょう。

 

すぐに結果がでなくても、しばらく練習してから、しばらくやってみてから考えよう。

ピアノの練習は情操教育(?)にはなったと思います。

タイトルとURLをコピーしました