こんにちは、藤森永子です。
実家にお金がないということを知ったのは、母にお財布を見せられた時でした。
「1000円しかないの」
家族全員分の食費が1000円とのことで、給料日まであと1週間。
毎週1回、生協で食材が届き、それで家族全員食べていけましたが、
有り金が1000円は衝撃的でした。
スーパーに家族で行ったことはありません。
理由を母にきいたら、「だって、お菓子をねだられても買えないし」との事。
そもそも、お菓子すら家にはなかったです。
学校から帰ってきて、おなかがすいて、夕飯まで時間があっても、お菓子が出たことはなく。
「お水のんで待っていて」母に何度言われたことか。
ジュースも高いから勿論ありません。
牛乳は朝コップに1杯しか飲むことを許されませんでした。
牛肉は高いので食べるのは誕生日の日くらい。
豚肉も鶏肉もそのままではなく、かならず小麦粉などの衣がついて、かさましです。
ハンバーグはパン粉や玉ねぎ人参シイタケなど具材いりで、
肉の少なさを隠すためにソースまみれでした。
卵も1人1個はありえず、毎朝2個の卵の卵焼きを家族でわけていました。
袋ラーメンを1人1袋食べることはなく、家族でわけていました。
学生時代はずっとお弁当でした。買い食いなどするお金もなかったのです。
そのため、大学時代まで、コンビニのお握りのラッピングの外し方も知りませんでしたし、
カップラーメンも食べたことはありませんでした。
当時、1人あたり1万円を食費として、母は食事を作っていたそうです。
ジュースも牛乳も好きなだけ飲めて、牛肉も食べられる今はとてもリッチだと思う私です。