財運編 2 極貧時代

藤森永子(ふじもりながこ)

こんにちは、藤森永子です。

 

実家にお金がないということを知ったのは、母にお財布を見せられた時でした。

「1000円しかないの」

家族全員分の食費が1000円とのことで、給料日まであと1週間。

毎週1回、生協で食材が届き、それで家族全員食べていけましたが、

有り金が1000円は衝撃的でした。

 

スーパーに家族で行ったことはありません。

理由を母にきいたら、「だって、お菓子をねだられても買えないし」との事。

そもそも、お菓子すら家にはなかったです。

学校から帰ってきて、おなかがすいて、夕飯まで時間があっても、お菓子が出たことはなく。

「お水のんで待っていて」母に何度言われたことか。

 

ジュースも高いから勿論ありません。

牛乳は朝コップに1杯しか飲むことを許されませんでした。

牛肉は高いので食べるのは誕生日の日くらい。

豚肉も鶏肉もそのままではなく、かならず小麦粉などの衣がついて、かさましです。

ハンバーグはパン粉や玉ねぎ人参シイタケなど具材いりで、

肉の少なさを隠すためにソースまみれでした。

卵も1人1個はありえず、毎朝2個の卵の卵焼きを家族でわけていました。

袋ラーメンを1人1袋食べることはなく、家族でわけていました。

 

学生時代はずっとお弁当でした。買い食いなどするお金もなかったのです。

そのため、大学時代まで、コンビニのお握りのラッピングの外し方も知りませんでしたし、

カップラーメンも食べたことはありませんでした。

 

当時、1人あたり1万円を食費として、母は食事を作っていたそうです。

ジュースも牛乳も好きなだけ飲めて、牛肉も食べられる今はとてもリッチだと思う私です。

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